8月17日(木)

月一回のかかりつけ医の診察を受けた。

血圧を測って、いつもの薬をいただくだけであるが。

測定結果は110-70と出て、医師からは「理想的ですね」と満面の笑顔でコメントがあった。

この暑さで血管が広がり、血流がスムーズになって血圧数値が落ち着いているのだと思う。

あえて医師には言わなかったことだが、薬の服用をこのまま続けていいのかどうか、という疑問がある。

私の場合、高血圧症を改善するために、何年か前から減塩の食生活を送っている。

とりわけ、会社をリタイアしてからは、外食の機会がめっきり減り、体内の塩分が激減しているのは間違いない。

だから、測定数値もきれいなものになってきている。

それで、今の私の状態は本当に高血圧症なのだろうか、疑わしくなるのである。

夏だから、そして、治療薬を飲んでいるから、というので、たまたま安定しているだけかもしれないので、素人判断は禁物である。

冬になって薬を抜いても血圧が上がらなければ、見事、完治という診断が下されるのかもしれない。

現実には、それはあり得ないと予測しているが(汗)。

ところで、『解体新書』の翻訳者の一人である杉田玄白は85歳で天寿を全うした。

当時としては、異例の長寿だろう。

彼が残した「養生七不可」の中に、
「動作を勤めて安を好むべからず」(運動に努めて怠けないこと)
がある。

この言葉そのものは、わざわざ言われなくても当たり前過ぎる話である。

しかし、私の場合は、とかく楽なほうに流れてしまう傾向があるだけに自戒の言葉としたい。
 
「1日1万歩」は、強い意志でもって続けていく。

 
スポンサーサイト
18 : 09 : 57 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑

8月16日(水)

朝のラジオ体操に行ってきた。

どうやら、自治会がお世話をしているようだ。

小学校のグラウンドに、ざっと100名ぐらい。

小学生とおぼしき子が三分の二、後は大人であった。

大人も、いかにも保護者という雰囲気を漂わせている人が大半で、私のように、純粋の個人として参加している年配者の姿がチラホラ。

自治会長がラジカセのスイッチを入れると、ラジオ体操第一の音楽が流れてきた。

在職していた会社では、毎朝、始業前にラジオ体操第一をやっていた。

そのときは全く感じなかったのだが、久しぶりにやってみると、かなりの負荷がある。

手を抜くことなく、最後までやった。

体操が最後の深呼吸になって、これで終わりかと、内心、ほっとした。

しかし、まだ続きがあるようで、スタッフは誰も動かない。

おそらく次はラジオ体操第二だろうと思っていたら、おっとどっこい、再び、第一をやるのである。

これは、全国的なお約束なのか、それとも、自治会長が第一が趣味なのだろうか。

アンコールの体操が終わると、子供たちはカードを持って、小走りに前方に向かう。

スタンプを押してもらって、最後の日には、鉛筆か何かをもらうためだろう。

みな、事情をよく知っている。

ちなみに、私の地域では、夏のラジオ体操は今日から5日間だけである。

私はご褒美はないが、皆勤賞をねらっている。

これはこれで、達成感を味わうことができると思う。

 
19 : 00 : 02 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑

8月15日(火)

今日の高校野球の試合は、朝早くに中止が決定した。

雨が降るであろうとの予報に基づいてである。

しかし、実際には、一時的な中断はあったにせよ、プレーはできたと思われる。

むしろ、炎天下ではないから、野球の試合には向いた環境にあったと言えるかもしれない。

ただ、これはあくまでも結果が出てから言えることだから、文句を言うべきではないと思う。

高野連は、神様でも超能力者でもないから、天気がどうなるかは知る由もない。

ハズレたからといって責めるのは、あまりに酷だ。

世間にはこれに類したことは多々あるのではないか。

学校の運動会や町内会の盆踊り大会など、大雨が降ったときの混乱を避けるために、安全策として早めに中止の案内を出したものの、いいお天気で終わった、というのは珍しくない。

そのときに、鬼の首でもとったかのように、中止の決定を非難している人がときどきいる。

私自身も、過去に早めの中止決定をして見事な空振りに終わった苦い経験を持っているが、大人なら心の中で思っていても、口に出しては言うべきではなかろう。

昨今は学校の夏休みが短くなってきているので、日程が延びれば新学期が始まってしまう高校もあるかもしれない。

また、遠方のチームにしてみれば、順延により宿泊費用が余分に発生する。

何よりも、8月15日といえば終戦記念日で、正午の黙祷は恒例の行事となっている。

こういった事情をわきまえた上で、大会関係者としては中止の決定をしたのだから、必ずしも安易な決断でないのは言うまでもない。

今の高校野球のあり方がベストとは思えないが、運営に腐心している人の苦労は察すべきだと思う。

 
17 : 42 : 02 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑

8月14日(月)

散歩ついでに寄ったお店で、ところてんを買った。

とりたてて好きというわけではない。

ただ、三杯酢がついているので、興味をそそられたのである。

大阪育ちの私は、ところてんといえば、黒蜜で食べるのが当然のことと思っていた。

ほんの何年か前に、それは関西バージョンであって、一般的には三杯酢で食するのが普通だと知った。

たまたま、今日、三杯酢のところてんを見つけたので、試しに買ってみたという話である。

中身を容器から取り出して水洗いし、水を切って器に入れて、三杯酢とカラシで食べるだけ。

この年齢になっても、初めてのものを食べるときというのは、若干の胸の高鳴りを覚える。

もし期待しているほどのレベルではなくてがっかりするのではないかという一抹の不安はある。

実際に食べてみると、三杯酢の味が微妙に刺激的であった。

ただ、今まで慣れてきた黒蜜のほうが、私にはしっくり来る。

ところてんといえば、私の中では甘い食べ物であってしかるべきだから。

なお、最近はところてんそのものも、また、元のところてんを細い形状にする突き出し器も見かけなくなった。

小学生の野球を指導している人が、押し出しのファーボールのことを「ところてん」と言っても、選手たちには意味が通じなかった、と語っていた。

3.5インチのフロッピーディスクを見たことのない若い人が多いのと、同じことだろう。

 
IMG_2138.jpg


18 : 31 : 52 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(14) | page top↑

8月13日(日)

スーパー銭湯のロウリュウを受けた。

熱々のサウナストーンにアロマの入った水をかけて蒸気を出し、それをスタッフが、ひとりひとりの客をうちわで仰いでくれるのである。

体感温度が100度を超えるので、相当な熱波がやってくる。

それだけで、デトックス効果の恩恵に浴したような気がする。

体の中にたまった毒素が、あれよあれよという間に排出されていくようで、それが心地よい。

このスーパー銭湯での楽しみの一つである。

ちなみに、サウナでどれだけ大量の汗をかいても、水分がとんでいくだけで脂肪は減らないから、ダイエットにはつながらないという。

一時的に体重が落ちても、後で水を飲めばすぐに元通りになるらしい。

なお、今日は、私が受けたロウリュウがこれで16回目ということで、記念のグッズをお店からいただいた。

本来なら、通常とは違うサービスを特別に受けたのだから、こちらから相応の料金を支払うというのが筋だと思うが、逆である。

お店としては、宣伝広告費と割り切っているのかもしれない。

それにしても、うちわで仰ぐスタッフは大変だ。

このお店では、ロウリュウは男性客向けしかやっていない。

女性客にも同じサービスをするとしたら、女性スタッフが担当せざるを得ないが、体力的に厳しすぎるからだろう。

たぶん学生アルバイトだと思うが、これも”ブラックバイト”になるのだろうか?


IMG_2137.jpg
賞品でいただいた深紅のタオル

18 : 18 : 04 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑

8月12日(土)

毎朝、5時に起床している。

年齢が上がってきたせいか、4時半ぐらいに目がさめてしまい、そのまま起きてしまうことも多いが。

最近、めっきりと日の出が遅くなってきたことに気がつく。

気になってデータを調べてみたら、今朝の大阪の日の出時刻は、「5時16分」であった。

夏至のときには「4時45分」となっているから、約30分も遅くなったことになる。

朝に目がさめたとき、すでにまわりが明るいと、私の気持ちも高揚する。

逆に、まだ薄暗さが残っていたら、今日一日への意欲が削がれてしまう。

自分だけのことかもしれないが。

毎年、夏の終わりを物語るのが、この日の出が遅くなることである。

大体、お盆ぐらいの時期にそれを体で感じる。

昼間はともかく、朝と晩は少しばかりひんやりした風が流れてくることもある、そんなタイミングである。

わが家のサルスベリも、先月末には豪華絢爛を誇っていた花びらはかなり少なくなってきた。

夏の暑さは過酷かもしれないが、弾けるような元気がある。

その夏が幕を下ろしつつあるのを感じると、一抹のさびしさを禁じ得ない。

ところで、今日8月12日は日本航空123便の事故から32年に当たる。

私にとっては初めての子供が誕生したのが、その昭和60年の6月末。

おりしも、新しい命の誕生の喜びに浸っているときの大惨事であった。

いまだに、わが子の誕生日を迎えると、あの事件のことを思い出す。

 
19 : 19 : 59 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑

8月11日(金)

告別式に参列した。

先週にも告別式があったが、ご不幸というのはいつやってくるかわからない。

とりわけ、夏場は特にご不幸が多いように私は感じていた。

しかし、政府統計を調べてみたら、冬のほうが圧倒的に死亡率が高かった。
 https://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/GL08020103.do?_toGL08020103_&listID=000001158057&requestSender=estat

12月、1月、2月の数値が高く、むしろ、7月と8月は低い。

他の複数のデータを見ても、やはり同様の傾向を示す結果が出ている。

明らかに死亡の多い月というのは、ちゃんとあるのだ。

冬は寒くて血管が縮まったり、あるいは、風邪引きから肺炎になったりと、健康上のリスクが高いのだろうか。

しかし、一般の家庭で闘病生活をしている人ならともかく、高齢者ともなると入院加療中という人が圧倒的に多いのではないか。

エアコンが完備している環境だから、寒いも暑いもないと思うのだが。

いずれにしても、私が感覚としてとらえている事柄には、統計的データからはかけ離れたものが多いことを知って、反省させられた。

大いに自戒すべき。

ところで、今日は山の日。

故人の御霊も、緑深い山で安らな眠りにつくことだろう。

 
18 : 54 : 49 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑

8月10日(木)

スーパーで、お湯だけで作ることのできる「ポテトサラダ」というのを見つけた。

私が知らなかっただけで、世間では常識のことかもしれないが、珍しさも手伝って買ってみた。

中身はマッシュポテトパウダーで、熱湯をかけてかき回し、冷ますだけでOKだという。

ポテトサラダが大好きではあるが、私自身は料理ができないものだから、いつもお店で出来上がりの製品を買っている。

食材のコストを考えると、もったいない気がしないでもない。

パウダーをもとに作るのであれば簡単だし、値段も安い。

さっそく、試食してみた。

店で買っていた出来上がりのポテトサラダとほとんど変わらない。

ただ、少しばかり、水っぽい感覚がある。

もしかしたら、お湯の量が多かったのかもしれない。

とはいえ、大いに気に入った。

おそらく、リピーターになると思う。

ちなみに、私がポテトサラダを著しく好きになったのは、昨年のゴールデンウィークからである。

散歩中に体全身に倦怠感を覚えたので、自宅でゆっくりしたいと思い、出先の食品スーパーで弁当を買って帰宅した。

その弁当にポテトサラダが入っていたのだが、それを食べると、にわかに元気が出てきて、いままでの脱力感がウソのように消えてしまったのである。

もしかしたら、因果関係は全くなかったのかもしれないが、それ以来、ポテトサラダが私にとってのラッキーアイテムとなった。

食事のおかずとしてはもちろん、お酒のあてとしてもいい働きをする。

ポテトサラダがあるだけで、私の幸せ感は大きくふくらむ。

幸せの青い鳥は、すぐ身近にいるものだ。


IMG_2134.jpg

18 : 34 : 15 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(10) | page top↑

8月9日(水)

高校野球をテレビで見ていると、「強豪校」という言葉をよく耳にする。

もちろん、公式の表現ではないので、入場行進のプラカードに「強豪」なんて書かれているわけではない。

また、「強豪」と呼ばれるための、明確な基準があるわけでもない。

推測するに、全国大会での優勝経験があって、出場回数もそこそこあり、チームの歴史が長く、名物監督がいる高校といった印象だ。

ここで屁理屈を述べると、強豪校があるなら弱小校もある、ということになる。

面と向かって、「このチームは弱小校です」とは口が裂けても言わない。

しかし、話の流れで、なんとなく「当てにされていないチームだ」ということはわかってしまう。

ただ、地方大会で勝ち上がって優勝したチームが甲子園に出場しているのだから、技術レベルは決して低くはない。

ときおり、下馬評に全く名前の出なかった高校が頂点を極めることもあるほど。

センバツも選手権も、全国大会は勝ち抜き戦方式だから、一度でも負ければ終わりである。

ということは、強豪と目されていた学校が負ける可能性は十分にある。

そもそも甲子園というのは、一種の伏魔殿のようなものだ。

何が起こるかわからない。

「強豪」とか「名門」「常連」などという、実体を伴わないあいまいな言葉は、テレビや新聞では自粛すべきではないか。

高野連は、ことあるごとに、高校野球は「教育の一環」であると主張している。

なら、報道関係者が「大会4日目は強豪対決です」などと表現していれば、抗議して撤回を求めるのが筋だと思う。

もっとも、それを言い出せば、熱中症のリスクが高い環境でプレーをさせることのほうが、はるかに重要な問題だが。(汗)

 
17 : 19 : 07 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑

8月8日(火)

高校野球選手権大会が始まった。

テレビで、開会式を見た。

開会式をライブで見たのは、おそらく、10何年かぶりだと思う。

不謹慎ながら、無職になったおかげで、自分の好きなことを楽しめるようになったと感謝している。

選手権大会が次回は100回を迎えるらしい。

そのタイミングで、新しい優勝旗を作るとのこと。

夏の大会といえば、深紅の大優勝旗がそのシンボルである。

なんでも、正式には「大深紅旗」と呼ぶらしい。

「紅」というと、わが家の「百日紅」も昨日の雨で花びらの大半が散ってしまったが、夏をイメージさせる色にほかならない。

そういえば、日本が戦争に負けて米軍に占領されているとき、高校野球で優勝したチームが優勝旗を掲げてのパレードをしようとしたところ、占領軍から中止するよう命じられた、という話がある。

占領軍は、旗の色を見て「赤旗」だと思い、思想運動と勘違いしたらしい。

また、試合の応援団が、Xjapanの『紅』の一節を演奏しているのも、おそらく、旗の色にあやかっているのだろう。

ところで、恥ずかしながら、「赤色」と「紅色」の区別が私にはわからない。

日本の国旗の日章部分は「紅色」と法律で定められている。

「赤色」ではないのだ。

もしかしたら、「赤色」という表現は、色をあらわす正式名称ではないのかもしれない。

ちょうど、交通信号の「緑」を「青」と呼んだり、キャベツやホウレン草を「青物」と言うのと同じで。


flagimage.jpg


 
17 : 55 : 26 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(10) | page top↑

8月7日(月)

スーパーに行ったら、うなぎのかば焼きによく似た形のものが売られていた。

2切れ入りで、税込み161円と書いてある。

そして、カバーには、
「これはウナギではありません」
と申し訳なさそうに書かれてあった。

そりゃそうだと思う。

いくら何でも、本物のうなぎがそんな値段で出ているはずがない。

”うなぎもどき”の一種だろう。

面白そうなので、好奇心に駆られて買って帰った。

たれも山椒も、ちゃんと付いている。

そもそも、夏のうなぎは痩せているから、さほどおいしくない。

最も脂の乗っている11月ぐらいが旬だと言われている。

食べ物は、何事によらず、旬に食べるのが最も味わい深いと私は思う。

あえて高いお金を出して旬でないものを食べるのなら、うなぎもどきでも十分ではないか。

それでもって、実際に食してみたら、本物のうなぎに遜色ないおいしさであった。

魚のすり身でかば焼き風に仕立てているから、見た目も味も、うなぎと一緒である。

かみ心地なんて全く変わらない。

比較対象として適切かどうかはわからないが、カニカマと本物のカニほどの違いは感じられなかった。

もし、明日もスーパーに残っていれば、買っておきたい。

ささやかな幸せに浸ることができた。


IMG_2133.jpg

18 : 40 : 08 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑

8月6日(日)

スーパー銭湯で体重を計ったら、47.0㎏しかなかった。

先週の日曜日が48.2㎏であったので、たった1週間で1.2㎏も減ったことになる。

もちろん、意識的に食事制限などはしていない。

なお、在職当時は、48.5~49.5㎏の範囲を行き来していたので、1.5~2.5㎏も下がった計算になってしまう。

約一か月での落差としては、無視できない大幅さだと思う。

考えられる要因は2つ。

まずは、会社勤めのときは、昼の弁当はカロリーの高いおかずが結構多く、食べ物を残すことに罪悪感を覚えることもあって、常に完食していた。

そこそこのボリュームはあったと思う。

職場を去ってからは、昼の弁当がなくなったことで、摂取カロリーが大胆に減ったことは間違いのない事実である。

よって、体重も少なくなってきたのだ、と。

もう一つの原因は、暑さである。

6月末までは、エアコン完備の事務所で仕事をしていた。

内勤だから、事実上、ずっとエアコンで涼しい環境下に身を置いていた。

それが、家で生活をするようになり、エアコンに頼らない生活へと変わった。

睡眠時に1時間で切れるタイマーをセットするだけで、あとは、自然のままで暮らしている。

すると、食欲が抑えられるのかして、むやみと大食をしないようになる。

事実かどうかはわからないが、日本人の体は、夏の暑いときは少ない量の食事で済むように設計されているらしい。

ところが、昨今はエアコンで温度コントロールされていて、夏であることを身体が忘れてしまう傾向にある、という。

そうすると、つい夏の摂取量を超えて食べてしまうところから、不調を来たしている人が増えてきた、という説を聞いたことがある。

そういえば、この夏は、私の体調は非常にすぐれている。

この説が正しいとすれば、私の体重減はノーマルな身体の反応と言える。

とはいえ、もし体重が46㎏台まで落ちたら、かかりつけ医に相談するつもりだが。

 
18 : 56 : 01 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑

8月5日(土)

午後から、父の病院に行った。

病院近くの道路に出ると、実に多くの浴衣姿の若い男女の姿が目に飛び込んできた。

中には、最近の旬である「恋人つなぎ」をしているカップルの数も目立つ。

テレビの影響力をあらためて思い知らされた。

その時点で初めて気がついたが、今日は、淀川花火大会である。

毎年、8月の第一土曜日に行われている。

人気イベントだけあって、少なくとも午後3時の時点では、街中には見物客とおぼしき浴衣姿が溢れかえっていた。

もしかしたら、朝から場所とりに奔走している人もいるかもしれない。

駐車場は、すでに満車のところもある。

中には路上駐車を強行しようとする掟破りがいるからか、警備担当者の数がおびただしい。

確かに、地元で普通に生活している人にとっては迷惑この上ない話だと思う。

また、路上でビールや飲み物を売っているテーブルが頻繁に見られた。

午後3時から飲んでいたんでは、花火が天空高く上がったときには、缶は空っぽになっているのではないか、とひとごとながら心配したが。

いずれにせよ、地元への経済効果は莫大なものがあるだろう。

実は、今、地元のテレビ局で淀川花火大会の中継をやっている。

もちろん、テレビで眺めるのと、現場で大音量を耳にしながら見るのとは、天と地ほどの違いがある。

レストランでメニューの料理写真を見るのと、実際に口にするのとの差・・・・・・とまで言うと大げさかもしれないが。

一度は、何らかの形でこの花火大会を自分の目で見てみたい。

ヘリコプターからの中継を見ていた一人のスタッフが”不用意”に漏らしたが、
「大阪市内の夜景も花火のようにきれいや」
と。

生中継だから取り消しようがないが、画面を通じて見たら、そんな感想を持つ人がいてもおかしくないと、私は感じた。

 
20 : 08 : 46 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑

8月4日(金)

地域の盆踊りがあった。

今日と明日の予定である。

娘一家が、それを当て込んでわが家に泊まりに来ている。

さきほど、会場まで車で送ってきたところだ。

私の地域では自治会が盆踊り大会を運営していて、縁日についても業者の力は借りず、自治会のメンバーがすべてをやっている。

つまり、利益目的でなく、子供の遊びとしての料金設定をしていることになる。

安いから、たくさんのゲームをしたり、お菓子を食べられるというので、小さい子供にとっては楽しさは倍増する。

私も、小学生時代は、まつりの夜店が楽しみでならなかった。

最もお気に入りであったのは、パチンコ台で玉を幾つか打って、成績に応じて東京コロッケがもらえるというものである。

パチンコ玉が何個入ったかによって、決められた個数のコロッケを串にさして、ダシにつけて食べる。

東京コロッケそのものも珍味であったが、パチンコ玉がどれだけ入るかにも重大な関心があった。

目標よりもたくさん入ったときは、次の日、学校で自慢したものである。

ただ、私が戦果を報告すると、必ず、それを上回る成績の同級生がいた。

後になって思うと、おそらくはハッタリであったろうと思う。

しかし、そんな体験を通じて、小学生ながらも世間というものを勉強していったのではないか。

最近の、いやかなり前からであるが、パチンコは事実上のギャンブルになってしまい、しかも、その稼ぎの一部は北朝鮮に流れてミサイルづくりに使われているとか。

もう20年ほどはパチンコとは縁がないが、屋台の東京コロッケのパチンコにはとてつもない郷愁を感じる。

 
19 : 48 : 48 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑

8月3日(木)

図書館で心静かに本を読んでいたところ、突然に、私のスマホの電話着信音が鳴りだした。

あわてて、音を切って廊下に出た。

おりしも第三次改造内閣の組閣中であったので、もしかしたら私に入閣の打診の電話かもしれないと思って・・・(汗)。

電話に出てみると、在職していた会社の顧問弁護士の先生ではないか。

「お電話をいただきましたが・・・」
とおっしゃる。

「いえ、心当たりはありませんが」
とお答えすると、それで会話は終わった。

珍妙な話だと思って、念のためにスマホの履歴を見たら、あっと驚くタメゴロー(死語)、その先生への発信履歴が残っているではないか。

そればかりか、妻と娘にも電話をかけた形跡が残っている。

妻からは、その後、「何か?」と電話がかかってきた。

計3人に電話をかけたことになっている。

しかも、3件とも同じ時刻であった。

おそらく、ポケットにスマホを入れていて、そこに手を突っ込んだときに、たまたま当たってしまったのだろう。

3年前に、スマホを使い始めた頃にはときどきあったが、同時に3人に電話をしたのはかつてないことだ。

スマホが、あるいは私が、暑さでアブノーマルな動きをしたのか。

なお、その後は、何事もなかったような涼しい顔をして読書を続けた。

『路傍の石』を最後まで読んだものの、実はこの作品は、未完のものであることを思い出した。

開戦前の閉塞した社会的雰囲気の中、小説を書き続けることはできなかったようだ。

作者の「ペンを折る」と題された事情説明は、言葉こそ抑えられていたが、無念の思いが噴出していたと思う。

『路傍の石』も、戦争による被害者である。

 
18 : 31 : 51 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑

8月2日(水)

告別式に参列した。

時代が変わると、ご不幸のおりの慣習も変わってくる。

本来は、四十九日、あるいは五十日が過ぎて忌が明けたときに、香典返しをするのが一般的であった。

ちなみに、私の住んでいる地域では、香典返しのことを「満中陰志」(まんちゅういんし)、略して「まんちゅういん」と呼んでいる。

お香典やお花を贈ってくれて人に対して、おかげさまで無事に忌が明けました、とのご挨拶として伝統的に行われている。

しかし、昨今は、お葬式の日に香典返しをする例が目立ってきた。

とりわけ、参列者の多いお葬式の場合がそうであある。

受付でお香典を手渡すと、その場で「引き換え券」がいただける。

式が終わって帰るときに、その券と交換で香典返しを頂戴する、という流れになっている。

経験した人は皆が口をそろえて語っているが、香典返しの手間は著しく煩雑である。

一人ずつに対して、住所と氏名を書いて商品を発送しなければならないのだから、参列者が多いときなど、実にストレスのたまる作業となるのは、想像に難くない。

日常生活にも支障が出てくる家庭もあるのではないか。

だから、お葬式当日に参列した人に渡してしまえ、って発想になるだろう。

しかし、思うのだが、そもそもお香典という手続きが必要なのだろうか。

いまどき、人が亡くなったからといって、明日に食べるご飯がない家庭というのは、ほぼ皆無だろう。

お返しをする手間を考えると、半ば、ありがた迷惑に感じているところが多いのではないか。

最近は、「香典拝辞」のお葬式が増えてきたが、好ましい傾向だと私は見ている。

故人との最期のお別れをしたいと考えていても、香典が必要ということであれば、そしてその人が経済的に厳しい状態であれば、お葬式に出られなくなるかもしれない。

それはそれで不幸なことだと思う。

現代の日本社会では、香典というのは、ほとんど意味をなしていない慣習ではないか。

今日参列して、その思いを強くした。


IMG_2132.jpg


18 : 41 : 54 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑

8月1日(火)

訃報が入ってきた。

前職のとき、勤務先の所属団体の役員をされていた人である。

さほど深いお付き合いはなかったし、わりと強引なものの進め方をされる人で、私は、少し距離を置いていた。

ただ、さまざまな面で、いい仕事をされていたのは事実だし、私も、自分にプラスになる勉強をさせていただいたと感謝の念を抱いたのは間違いない。

明日が告別式だというので、参列させていただくことにした。

しかし、その準備に思いのほか手間取った。

まずは、不祝儀袋が近くにない。

家の中を探し回って、表書きのないものが出てきたので、それを使うこととした。

自分で筆を持って字を書くなんて、何年ぶりではないか。

会社に勤めているときなら、筆の達者な人がいたので、お願いすることができた。

やむを得ず、中学生でももっと上手な字を書けるだろうと思いつつ、自分で書いた。

次に、5,000円札が手元にない。

これも、会社勤めをしていたころなら、経理に行けば何の造作もないことであった。

しかし、完全に個人の立場になると、事情は違う。

まさか、受付で10,000円札を出して、お釣りを求めることなんてできない。

仕方なく、コンビニのATMから「5,000円」を引き出したところ、なんと、1,000円札が5枚、出てきたではないか。

コンビニのスタッフの人に事情を言ったら、いつもはにこりともしない人が、愛想よく、5,000円札に両替してくれた。

昨今は、両替を嫌がる小売店が増えてきた。

お店にとっては手間がかかるだけで儲けにつながらないからだろう。

ただ、商売というのはそんな経済合理性だけで成り立つものではないと思う。

それはそれとして、思えば、会社に所属していたときは、いろんな恩恵に浴していたものだ。

在職中は思ってもいなかったことだ。

日本の会社というのは、一種の福利厚生施設なのかもしれない。

 
18 : 00 : 28 | 日記 | トラックバック(0) | コメント(10) | page top↑
| ホーム |

プロフィール

声なき声

Author:声なき声
FC2ブログへようこそ!

昭和27年に生まれ、平成29年に職業生活をリタイヤ。 現在、千里ニュータウン在住。   

月別アーカイブ

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する